モスターの橋(3)
ボスニア・ヘルツゴヴィナ共和国南部の古都、モスターを歩いていたら、子どもたちが寄ってきてお金をせびる。
1990年代の内戦後、この町の経済は事実上崩壊した。
ユーゴスラビアが分裂する前、モスターの主要産業は、アルミニウム製造と、航空機製造だった。
ユーゴスラビア連邦軍のための、軍用機の製造が中心だったが、内戦後は全く需要がなくなり、今では旅客機用のドアなどを細々と製造している程度。
従って、アルミニウム製造業も下火になってしまった。
またこの地域ではアルミニウムの原料であるボーキサイトが採れたが、最近はベネズエラなど外国産のボーキサイトの方が安いので、鉱業も振るわない。
さらに1995年に内戦が終わってからも、クロアチア系住民とモスレム系住民(イスラム教徒)たちが反目し続けたことも、この町の経済発展を阻害した。
彼らはそれぞれ市役所を作り、モスターの町は真ん中を流れるネレトバ川を境に、分断された町となった。
町の東側にはモスレム系市民が住み、西側にはクロアチア系市民が住んでいたが、お互いに行き来はほとんどなかった。
キリスト教徒であるクロアチア人たちは、内戦後、町の西の丘の上に白い十字架を建てたほか、ある教会の塔を不自然なまでに高くした。
イスラム教寺院の尖塔ミナレットに対抗するためである。
特に十字架は、威圧的に町を見下ろしており、モスレムたちとの感情的な対立の原因の一つとなっている。
十字架は夜もオレンジ色のライトに照らされて、闇の中に浮かび上がっている。
町の分断状態は2004年の7月に終わり、住民たちは一つの市役所を持つようになった。
しかし、両者の間の、目に見えないわだかまりは、今も続いている。
あるボスニア人が言った。
「昼間は、みなお互いの地区を行き来するようになった。しかし、夜になると話は別だ。今もクロアチア人は、町の西側、つまりクロアチア地区のレストランにしか食事に行かないし、モスレム系住民はイスラム教徒の多い、町の東側でしか食事をしない」。
ユネスコと世界銀行が1500万ユーロ(約21億円)を投じて、スターリ・モスト(古い橋)を再建した背景には、民族・宗教紛争によって深く傷つけられ、憎みあうようになった二つの民族の和解を実現しようという、国際社会の悲願がこめられているのだ。
モスターの現実を見て、ヨーロッパ文明の理性の皮膜がいかに薄く、ナショナリズムの破壊衝動といかに隣り合わせになっているかを、強く感じた。(この項 終了)
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
保険毎日新聞 2006年4月